LOGIN第58話 声を残したいって、どこまでなら大丈夫? 次のフェチ研の活動日、机の真ん中には一枚の相談カードと、陽菜のスマートフォンが置かれていた。「何で私のスマホが展示物みたいになってるの」「今回の題材だから」「勝手に題材にしないで」 陽菜がすぐ自分のほうへ引き寄せる。「でも録音したいって言っただろ」「言ったけど、私のスマホを会議机の中央に置く必要はない」「確かに」「悠真、こういうところ雑だよね」「俺が置いたわけじゃない」「誰?」 全員。 神崎先輩を見る。「ごめん。分かりやすいかなと思って」「先輩」「はい」「人のスマホは資料じゃないです」「反省してます」 言いながら、神崎先輩はそこまで反省していない顔だった。 澪先輩は相談カードを手元へ寄せ、改めて文面を読んだ。『好きな人の声が好きすぎて、授業中に発表している時の声をスマホで録音したくなります。まだ録音はしていません。でも忘れたくないと思ってしまいます。変ですか。』「まず」 神崎先輩が言う。「気持ち自体は変じゃないと思う」「録音したくなる気持ち?」「うん」 陽菜が頷いた。「私も分かる」「じゃあ」 俺が聞く。「どの声残したい?」「今ここで?」「相談のため」「便利に使うね、それ」「でも必要」 陽菜は少し迷ったあと、椅子へ座り直した。「大会
第57話 夏のフェチ研、相談箱が増えすぎました 交流祭が終わってから一週間。 フェチ研の部室には、一つ大きな変化が起きていた。「先輩」「何?」「これ、今日届いた分だけですか」「うん」「全部?」「全部」「……多すぎません?」 机の中央には、相談用の封筒が積まれていた。 交流祭前までなら、多くても一週間に二、三件だった。何も来ない週だって普通にあった。それが今は、大学の相談フォームと学生ホールの匿名箱を合わせると、一日に数件届く。 今日は特に多い。 数える。「十一」「正解」「喜ぶところですか」「需要があるってことだから」「でも処理できませんよ」「相談を処理って言わないの」 神崎先輩に言われた。「じゃあ対応」「それならいい」「意味そんな変わります?」「印象が違う」 陽菜が隣から封筒を一枚取った。「悠真、こういう時だけ急に事務員になるよね」「数を把握しないと回らないだろ」「ほら」「何」「交流祭の時と同じ顔」「どんな顔」「全部管理したい顔」「してない」「してる」 澪先輩まで小さく頷いた。「してる」「白石先輩まで」「でも必要」「どっちですか」「面倒だけど必要」「最近それ
第56話 彼女の汗を好きな俺が、彼女の努力まで好きだと気づく 大会の翌日、陽菜は普通に大学へ来た。 少なくとも見た目だけなら、昨日、公園のベンチで泣きながら「頑張ったのに」と何度も言っていた人間には見えない。髪はいつものようにポニーテールで、講義棟の廊下では友達と笑っていたし、昼休みに俺を見つけると、昨日と同じ調子で手を振った。「悠真、今日どこで食べる?」「学食でいいんじゃない」「混んでるよ」「じゃあ外」「暑い」「注文多いな」「昨日大会走った人にもう少し優しくしてください」「昨日はかなり優しくしたと思う」「昨日の分は昨日で終わり」「毎日更新制?」「そういうこと」 普通だった。 でも、少しだけ違う。 椅子へ座る時、陽菜がほんの少し顔をしかめた。「脚?」 俺が聞くと、陽菜は一瞬ごまかそうとしてから諦めた。「筋肉痛。昨日の夜から来てる」「今日練習は」「軽め。完全休養じゃないけど、走り込みはしない」「ならいい」「何、その保護者みたいな言い方」「昨日無理するなって俺が怒られたから、今度は言う側」「私はちゃんとコーチのメニュー守ります」「そこは信用してる」「じゃあいいじゃん」 俺たちは結局、学生ホールの端にある席を取った。 陽菜は冷やしうどん。俺はカレー。向かい合って食べ始める。 昨日の大会について、俺からは何も聞かなかった。 陽菜が話したくなれば話すだろうし、今日はもう別のことを考えているかもしれない。 実
第55話 悔しいって言えるまで、隣にいて ミーティングが終わった陽菜が競技場の外へ戻ってきたのは、それから四十分ほど経ってからだった。 俺は約束どおり同じ場所にいた。途中で自販機の梅ソーダを一本買い、味見もしないままベンチの横へ置いていたが、陽菜の姿を見つけた瞬間、それまで妙に気になっていた缶の存在はどうでもよくなった。 陽菜は俺を見つけると、小さく手を上げた。「待った?」「かなり」「ごめん」「待つって言ったからいい。それより、もう帰れる?」「うん。先輩にご飯誘われたけど、今日はやめた。みんな嫌いじゃないし、むしろ好きなんだけど、今『二位お疲れ』って言われながら食べる自信なかった」「断れたならいいんじゃない」「ちょっと感じ悪かったかな」「何て言った?」「『今日は疲れたので帰ります』」「普通だろ」「そうなんだけどさ、向こうも気を遣ってくれてるの分かるから、断るとちょっと悪いことした感じする」 陽菜は昔から、明るくて人付き合いがうまい。 少なくとも俺にはそう見える。 でも、多分それは「人に気を遣わない」という意味ではない。むしろ逆で、人に気を遣うからこそ、表面上はうまくやれるのかもしれない。「今日は自分の機嫌優先していいんじゃない」 俺が言うと、陽菜は少し笑った。「悠真にそれ言われると、かなり説得力ある」「何で」「今日ずっと私の機嫌に付き合ってるから」「まだ悪い?」「かなり」「俺に?」「それは違う。自分に。タイムに。あと、ちょっとだけ世界に」「範囲広いな」「今日は許して」
第54話 負けた日に、励まされるほうがつらいこともある 陽菜は、梅おにぎりを半分ほど食べたところで手を止めた。「もう無理?」「うん。食べたいと思ったんだけど、喉通らない」「じゃあ残していい」「捨てるの嫌だな」「俺が食べる」「本当に?」「最初からその予定もあった」「合理的すぎる」 陽菜は少しだけ笑ったが、その顔はすぐ元へ戻った。 笑える。 でも、笑いたいわけではない。 多分、今はそういう状態なのだと思う。 俺は残りのおにぎりを受け取り、袋を閉じた。すぐ食べる気にはならなかったので、自分のバッグへ入れる。 その間にも、競技場の中から声が聞こえてくる。 次の種目のアナウンス。 歓声。 拍手。 誰かの名前。 陽菜はベンチに座ったまま、そちらを見なかった。「戻らなくていいの?」 俺が聞くと、陽菜は少しだけ顔をしかめた。「もう少ししたら戻る。ミーティングあるし、他の子の応援もしたいから」「じゃあ今だけ?」「うん。今だけちょっと、誰にも会いたくない」「俺は?」「……悠真は別」「彼氏だから?」「それもあるけど」 陽菜は考え込んでから、小さく首を振った。「今、何も言わないから」「俺が?」「うん。そこが楽」 俺は少しだけ驚いた。「何か言われた?」「さっき部員の子に」「何て
第53話 試合前の彼女に、好きって言わないほうがいい日もある 大会当日の朝、俺は予定より四十分早く目が覚めた。 別に俺が走るわけではない。 それなのに、目覚ましが鳴る前から妙に意識がはっきりしていた。昨夜、二十七分も電話したせいで寝不足になるかと思ったが、むしろ逆だったらしい。 スマートフォンを見る。 陽菜からのメッセージはない。 当然だ。 向こうはもっと早く起きているはずだし、今日は朝から部員として動いている。昨日決めた通り、俺からも試合前に余計な連絡はしない。 それでも一度、メッセージ欄を開いてしまった。『頑張れ』 打って。 消す。『緊張してる?』 もっと駄目な気がして消す。 最後。『今日は見てる』 そこまで書いて、また消した。「……何やってるんだ、俺」 自分で決めた。 会場へ着いたら一度だけ連絡する。 それまでは何もしない。 だから。 スマートフォンを伏せた。 朝食。 着替え。 電車。 その全部が、普段より少しだけ落ち着かなかった。 会場の競技場へ到着したのは、最初の種目が始まる少し前だった。 休日の競技場は、大学とはかなり空気が違う。 土と芝。 日焼け止め。 汗。 スポーツドリンク。 テーピング。 外だから、交流祭ほど匂いがこもってはいない。人も多いが、空気が動く分かなり楽だった。 俺は観客







